
お父さんが船を下りたら、 農業をやるのが夢だったんです。
だって、ずっと一緒にいられるから。
もう、さみしい想いをしなくていいから。
アスパラ農家
吉永 守幸 & 美夜子
Miyoko & Moriyuki Yoshinaga
「寂しくて、農作業が辛くて、夜はいつもひとりで泣いてました…。」
生月島でアスパラ農業を営む吉永美夜子さんは過去を懐かしみ、そう語った。夫の守幸さんは、かつて巻網船の漁労長。結婚後間もなく、夫は1ヶ月の内に1週間しか漁から戻らず、美夜子さんは守幸さんの実家で農業を手伝うという生活が始まり、約30年の月日が過ぎた。
長年そんな生活が続いても、「寂しい」「守幸さんといつも一緒にいたい」という気持ちは収まるどころか強くなる一方だったという美夜子さん。守幸さんの定年後は、ずっと一緒にいられるような事をやろうと心に決めていた。タイミングよく農協からの誘いもあり、念願叶ってアスパラを育てていく事となった。
それから約10年。アスパラに魅了された二人の生活は、老後の楽しみの域をはるかに超え、今や平戸を代表するアスパラ生産者となっている。
「もはや趣味じゃないですよ。朝は5時前に起きて収穫前の準備。アスパラは次から次に育つので、収穫するのが大変です。休む暇がありません。」と嘆く二人。
「でも、やればやった分、実入り(収入)になります。それが魅力なんですよ!」と、満面の笑みを浮かべた。
【美夜子(以下、美)】結婚後は長年、主人は漁に、私は主人の両親と農業をしていました。両親が亡くなった後、他の所で働くのが嫌だったし、ずっと我慢していたので、主人が船を下りたら一緒にいたかった。そんな時に、農協さんからアスパラをやってみないかと誘われて。主人の了承を得てからは順調に話が進み、主人が定年するまでの1年間は、農協さんが指導してくれたとおりに私が堆肥を入れ、主人が定年した時にはハウスも出来上がって準備万端でした。
【守幸(以下、守)】母ちゃんから一緒に農業やろうと言われ、米は儲けるのは難しかけど、アスパラならやれると思って、退職金を全部突っ込んで始めました(笑)。
【守】人に使われず自分の好きなように出来ることやろうね。あとはやっぱり収穫する楽しみ。
アスパラだけじゃなく、芋やお米や野菜も同じだけど。手をかけた分、愛着もわくし。
【美】農繁期は休めないことですね。朝は早いし。特に夏は暑くて。
【守】相手(アスパラ)が出てきたら収穫せないかんから、休みたくても休めん状況に。でも、徐々にそれが自然になってくる。
【美】でもそれなりの見返りがあるから楽しみがあって頑張れるんです。
【美】数字は言えないですが、4人の孫それぞれの誕生日や入学の時には服や机を買ってあげたり。 残っている住宅ローンを払いながらも、自分たちが食べたい時に食べたい物を買えたり。 私たち老人二人でもそこそこ儲かっていますので、体力ある若い人がやれば すごく儲かるだろうな、やったらいいのにな、とは常々思います。
【美】私も最初は全然右も左もわからん状態でしたけど、農協と市役所と県がサポートしてくれたのでやることができました。アスパラは作業も難しくはなく、農協の指導員さんが毎月ハウスごとに検討会をしてくれますし、毎月のマニュアルがあるからそれを守っていけばきれいに育ちます。それとアスパラは価格が変わらず安定しているので、普通にしていたら間違いはないと思います。アスパラの事に関しては隠し事なしで、私たちが教えられることは全部教えながら一緒に頑張っていきたいという気持ちは十分にあります。いつも若い人たちが一緒にやってくれないかなと待っている状態です。若い人、待ってます!