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17年取材・制作 イチゴ農家 松元 朋幸

覚悟とやる気、まじめさがあれば、
必ず大丈夫です。
仲間がみんなで支えます。

イチゴ農家

松元 朋幸

まつもと・ともゆき|昭和31年6月生まれ。
『平戸いちご部会』の部会長を6年務めた。
現在は常にトップクラスの単収を誇る、平戸のイチゴ職人。

タバコ減反がきっかけに

11月下旬のイチゴハウス。色・形ともに美しく見事に成長したイチゴを収穫する、見るからに職人気質の男性の姿があった。今や平戸を代表するイチゴ生産者・松元朋幸さんだ。
昭和31年、平戸で稲作と葉タバコ栽培を営む農家の長男に生まれる。定めのごとく、跡を継ぐ為に農業高校・大学へ進学。卒業後、一旦は平戸の農協に4年半程勤め、結婚を機に就農。
就農当時、国によるタバコの減反政策の最中。タバコ栽培は辞める事にしたが、ちょうどその頃、営農指導員だった大浦さん(前頁掲載)の勧めと指導の下でハウスメロン栽培を始める。しかし、なかなかメロンも安定せず、大浦さんを中心に5~6名で何か代わるものはないだろうかと話し合いを重ねた結果、イチゴを平戸に導入する事となった。 当初は試行錯誤で、なかなか経営的にも安定しなかったものの、『とよのか』・『さちのか』と品種を変えていく内に、徐々に結果も出るようになり、現在は平戸全体でも9割以上を占める『ゆめのか』を作り始めてからは、『平戸いちご部会』の平均以上の収量を上げるまでに。「苦労はしたけど、今となっては、あの時平戸にイチゴを導入してよかったと思います。」と松元さんは言う。

巣立ちの喜びは苦労の結果

とはいえ何しろ自然相手のこと。その年その年で病気や害虫、気象にもかなり影響され、なかなか思うような栽培ができなかったり、逆に採れても思うような価格にならないことももちろんある。それでもやりがいが多いので続けられている事実もある。「メロンもそうですが、イチゴは夏の間はずっと苗を作り、9月頭頃から定植、その後花が咲いてくるんですよね。手をかけた分、自分の思うように日々成長する姿を見ると楽しいです。また、自分が作った品物を出荷する楽しみもありますし、何より、良い価格がついたら、またそれも嬉しいですし。まるで我が子を育て巣立たせるようです。」と話すと、生真面目な職人らしい表情が、やわらかくほぐれていた。
現在は奥さんと二人暮らし。3人の子どもたちはいずれも平戸を離れ、それぞれの生活を営んでおり、今のところ平戸に戻るという話もない。もちろん、寂しくないはずはないと思うが、「できるところまで二人でやろう」と話す夫婦の間に悲壮感はない。

仲間がいるから

松元さんは前任の大浦さんより『平戸いちご部会』の部会長を受け継いだ際(現在の部会長は、P13掲載の橋本蜜昭さん)、「若い人もみんな同じ仲間として、イチゴを通した交流を深め、栽培の楽しみを共有し、平戸イチゴを発展させよう」と『平戸塾』という組織立ち上げに協力するなど、後進の育成にも力を注ぐ。現在では『平戸いちご部会』の次世代を担うであろう志高き研修生たちが、技と心を磨き松元さんから巣立っていっている。
「平戸のいちご部会は、人と人との繋がり・仲間意識が強い。お互い色々あったら助け会う。仲間は一番大事」だと語る松元さんに、平戸で就農を考える若者にエールをお願いしてみた。

新規もベテランも一丸で

「人により向き不向き・慣れ不慣れがありますが、今のイチゴ栽培は、新規就農者だから・ベテランだからといって、あまり違いはないのではと思います。他地区でも若い人の方が成績が良いと聞くことも多いですし。平戸には、頼りになる指導者もいますし、部会員が一丸となって、平戸のイチゴを世に広げよう・次世代に繋いでいこうという気持ちで頑張っています。そんな私たちと一緒にイチゴを作りたい方、『覚悟』と『やる気』そして『まじめさ』があれば、必ず大丈夫です。みんなで支えます。若い力を待っております。どうぞ平戸においでください。」
―仲間にもイチゴにも誠実な職人の、力強い答えが返ってきた。

  • 松元さん 作業中の、声も掛けづらい様相から一転。ハウスの外に出ると何とも気さくな雰囲気の笑顔を見せる松元さん。
  • 松元さんと平山さん 松元さんと、松元さんの下で研修中の平山さん。平山さんは昨年まで勤務していたハウスメーカーを退職し、両親のイチゴ農家を継ぐために帰郷していた。
  • 収穫したイチゴ 香りが届かない誌面で見ると、作り物と見まがうような、傷一つない真っ赤な美しいイチゴ。
  • 収穫したイチゴ 「この重みが嬉しさに比例しますね」と、収穫したイチゴをトラックに積み込む。
  • ハウス内 隅々まで管理の行き届いたハウス内(10月時)。美しいイチゴが出来るのも納得がいく。

動画紹介

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