帰農、今日、明日

17年取材・制作 イチゴ農家 豊増 常之

もうこれで終わりだ…と思ったその時、
ふと、やり残したことが 頭に浮かんだんですよ。
「そういえば俺、 農業やってみたかったんだよな」って。

イチゴ農家

豊増 常之

Tsuneyuki Toyomasu

平戸島の北西に位置する、緩やかな丘陵が広がる生月島。かつて捕鯨で栄えたこの島は、今ではアゴ(トビウオ)をはじめとする漁業や、隠れキリシタン集落として知る人も多い。

この生月島で唯一のイチゴ農家・豊増常之さん。彼の就農のきっかけこそ、まさに、人生をかけた再スタートと言える。

平戸市内の高校在学中は、全国でも就職氷河期と言われた時代。豊増さんも例に漏れず働き先が見つからず、とりあえず長崎県立農業大学校に進学することに。高校生までは大嫌いだったという農業だが、農大で学ぶ内にその魅力に引き込まれ、「いつかはやりたい」と考える様になる。とはいえ、実家は祖父が趣味程度に米を作っていただけの兼業農家。ほぼゼロベースから農業をやっていくだけの自信もなく、大学卒業後は地元で職を見つけ、とりあえず働くこととなった。働き始めてから3年。仕事が合わないと感じ始めてからは、ストレスが溜まり続け、ついには鬱状態に。

ある日、ロープと遺書を片手に山中へ向かい、場所と覚悟を決めたその時、最後にもう一度、人生に悔いがないかを自問してみた。あった、一つだけ。

「そういえば俺、農業やってみたかったんだよな…」「死ぬ気になって貯金を使い果たしてダメ元でやってみようかな…」。そう決意してからは、ひたむきに一人前の農家を目指し、振り返れば十数年の月日が過ぎていた。

「農業の厳しさは農大時代や平戸市の研修の経験などからもある程度知ってましたし、自分で目標やノルマを決め、それに対して成果が出た時の喜びは何ものにも替えがたいですね。農業は自分に合っているのだと思います。
一昨年は結婚もしましたし、どんどん儲けていきたいです」。そう話す豊増さんの視線は、未来だけを見据えていた。

  • 豊増さんのハウス 生月は比較的暖かい気候だが、海に囲まれている分塩害も多いのだそう。
  • ハウス内 海からの潮がかぶらないよう、暖かい日でもビニールをかけているハウス。
  • 畑 ご両親の手伝いもあり、現在18アールの畑を切盛りしているものの、まだまだこれからだとか。
  • 機械修理 機械の修理も必要な作業として楽しくやっている。
  • パック詰め 収穫したイチゴを一つひとつ丁寧に検品・パック詰めしていく。生真面目な表情が、研究者のよう。
  • JA職員と豊増さん パック詰めしたイチゴを前に、JA職員と談笑する豊増さん。

Interview

―平戸で農業を始められてから気づいた、平戸の特徴はどんなところだと思いますか?

平戸市外のことはよく知りませんが、平戸でイチゴ農家をやり始めた当時、生月島と平戸島の南北各所に温度計を設置したことがあったのですが、平戸だけでも温度・環境が違い、育て方もケースバイケースだということがわかりました。

―暖かいほうがイチゴ栽培には向いているのでしょうか?

暖かいと冬場は楽なんですけど、花芽(植え付け)が遅くなったりして。植え付けが早ければ、実がなるのも早いですので、そういった部分では不利。だけど寒ければ冬場の生育が停滞したり、温度で燃料代がかかったりということがありますね。それに、このあたりは季節風が強くて、すぐそこは海。だから時折潮が降ってくるんですよ。
ただ、風が強いということは霜が降りないということでもあって。だから長所は短所でもあり、短所は長所であるというのがありますね。

―同じ島内でも、温度や塩害など、良く違いを分析されてますね。もはやお仕事が趣味ですか?

趣味って特にないんですよね…それより作業してればいい。
ただ、外でずっと仕事をしていると、休みの日は家の中でじっとしていたいというのが本音です。

―最後に、平戸で就農を考えている人へのメッセージをお願いします。

厳しい言い方ですが、まずは、自分がどうしたいのかを決めて、自分の意志で来てください。人に言われたからではなく。それが一番の覚悟になるし、覚悟を持っていればなんとか続けられると思います。私は体が細いし、体力面が一番心配で、本当に続けていけるか内心不安があったのですが、やってみようという覚悟だけはあったので、何とかここまでやってこれました。そうすると自然と自信がついてくるし、楽しくなってくるんじゃないかと思います。

動画紹介

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